2023年作品、クリストファー・ノーラン監督、キリアン・マーフィ エミリー・ブラント ロバート・ダウニー・Jr オールデン・エアエンライク スコット・グライムズ ジャック・クエイド フローレンス・ピュー ゲイリー・オールドマン マット・デイモン ラミ・マレック ケネス・ブラナー ジョシュ・ハートネット デヴィッド・ダストマルチャン マイケル・アンガラノ ベニー・サフディ ジェイソン・クラーク デイン・デハーン アレックス・ウルフ トニー・ゴールドウィン マシュー・モディーン デヴィッド・クラムホルツ ルイーズ・ロンバード ディラン・アーノルド マティアス・シュヴァイクホファー グスタフ・スカルスガルド ケイシー・アフレック ジョシュ・ペック エマ・デュモン デヴォン・ボスティック出演。
赤狩りの嵐が吹き荒れる1954年、ソ連のスパイ疑惑を受けたオッペンハイマー(キリアン・マーフィ)は、聴聞会で追及を受ける。1959年、その事件の首謀者ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)の公聴会が開かれる。
1926年、ハーバード大学を最優秀の成績で卒業したオッペンハイマーは、イギリスのケンブリッジ大学に留学するが、そこでの環境や実験物理学に嫌気が差して、ドイツのゲッティンゲン大学に留学する。 留学先で出会ったニールス・ボーア(ケネス・ブラナー)やヴェルナー・ハイゼンベルク(マティアス・シュヴァイクホファー)の影響から理論物理学の道を歩み始める。 1929年に博士号を取得した彼はアメリカに戻り、若く優秀な科学者としてカリフォルニア大学バークレー校で教鞭を取っていた。 オッペンハイマーは自身の研究や活動を通して核分裂を応用した原子爆弾実現の可能性を感じており、1938年にはナチス・ドイツで核分裂が発見されるなど原爆開発は時間の問題と考えていた。
第二次世界大戦が中盤に差し掛かった1942年10月、オッペンハイマーはアメリカ軍のレズリー・グローヴス准将(マット・デイモン)から呼び出しを受ける。 ナチス・ドイツの勢いに焦りを感じたグローヴスは原爆を開発・製造するための極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を立ち上げ、優秀な科学者と聞きつけたオッペンハイマーを原爆開発チームのリーダーに抜擢した。
1943年、オッペンハイマーはニューメキシコ州にロスアラモス国立研究所を設立して所長に就任、全米各地の優秀な科学者やヨーロッパから亡命してきたユダヤ人科学者たちとその家族数千人をロスアラモスに移住させて本格的な原爆開発に着手する。 オッペンハイマーはリーダーシップを発揮して精力的に開発を主導、ユダヤ人でもある彼は何としてもナチス・ドイツより先に原爆を完成させる必要があった。 一方で原爆開発に成功しても各国間の開発競争や更に強力な水素爆弾の登場を危惧していた。
監督はクリストファー・ノーラン、「TENET テネット」 https://anttiorb.hatenablog.com/entry/2020/09/27/060000 はコロナ禍でもヒットしましたが、難解な作品でした。
主演はキリアン・マーフィ、「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」 https://anttiorb.hatenablog.com/entry/2021/06/28/060000 に出演でした。
妻役がエミリー・ブラント、「ジャングル・クルーズ」 https://anttiorb.hatenablog.com/entry/2021/08/06/060000 に出演でした。
そしてロバート・ダウニー・Jr、「ドクター・ドリトル」 https://anttiorb.hatenablog.com/entry/2020/06/30/060000 に出演でした。
マット・デイモンは、「AIR/エア」 https://anttiorb.hatenablog.com/entry/2023/04/10/060000 に出演でした。
あまりに多くの役者陣が参加した超大作でした。 周知の通り多くのオスカーを受賞した作品でもあります。 思うところはいろいろありますが、まずは見ないとと思い、鑑賞してきました。
まず、丸々3時間あるので、しっかりと起きて、そして水分調節を(^^)
さらに前作が難解でしたし、事前に見た町山氏からこれも時間軸が行ったり来たりと言っていたので、それも念頭に置いてみました。 ただ、こういう時間軸がフラフラする作品は多くみているので、そこまで苦ではありませんでした。
そして一番苦痛に感じるのは、やはり日本人としては、彼が先頭に立って開発している原子爆弾は、広島に、長崎に投下されるという現実が近づいてくるところでしょう。 実験成功に狂喜乱舞する開発陣たち、もちろんそこまでの苦労が報われた瞬間ですが、当初ドイツを標的に、ナチスより早く開発をという目標が、ナチスが敗北したことで、もうその目標がなくなったその時ですね。
ここで日本を標的に切り替え、そこは曖昧ですが、日本の京都以外に多くの標的地があったこと、一方ではもう日本の敗北はわかりきっているので、原爆開発はやめてもいいのでは? という意見を押し切って、まず開発、それを落とすことありきでは知っていたことは、日本人には絶えられないことです。
またみ終わった後感じたのは、これはやはり決して人間が踏み越えてはいけない分野だったと強く思いました。 ここから多くの国が核兵器を持つことになり、原子力発電もありますが、一旦事故がおこうと大変なことになることを皮肉にも日本が実証してしまいました。
いつかこの地球上の核が使われ、人間は心底痛い目に遭う気がして止みません。