1889年、オスマン・トルコ帝国は、かつての栄光に陰りが見え始め、ヨーロッパ列強に押され始める時代を迎えていた。 東アジアで台頭してきた日本との関係を築くために、若き海軍指揮官のムスタファ(ケナン・エジェ)は父に別れを言い、日本に向けてエルトゥールル号に乗り旅だった。
なんとかインド洋を抜け、フィリピンに差し掛かり、難所を抜け出し、やっとのことで1890年6月、横浜港に寄港した。
しかし使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が出発した時期は、台風のシーズンだった。 なんとか乗組員の奮闘で船はたもっていたが、和歌山沖で、帆が役に立たなくなり、舵も効かなくなってしまう。 あとは機関室だけが頼りだった。
このままでは爆発する恐れがあるからと言い、ムスタファを機関室から出し全乗組員に船から下船するように言わせる。 しかしその時、炉が爆発を起こす。
爆発音を聞いたこの地に暮らす医師・田村(内野聖陽)と助手のハル(忽那汐里)をはじめ村民は、総出で救出活動にあたった。 ハルは昔、婚約者を海の事故で亡くし、その時のショックから言葉を発することができなくなってしまった。
多くの怪我人が運ばれてきた。 重症者と、軽傷者に分け、重症者をまず先に手当てを始めた。 村の男は、海と怪我人を収容している小屋を何度も往復し、一人でも多くの 怪我人を運ぼうと必死だった。
しかし台風の真っただ中、身の危険もある中、信太郎(大東駿介)が潜ったところで救助した男が、海軍機関大尉のムスタファだった。 救護所に彼が担ぎ込まれ、ショック状態で、一時は呼吸が止まってしまった。 しかし蘇生を施したのがハルだった。 彼女の懸命な心臓マッサージによりムスタファは一命を取り留める。
この事故により69名が生き残り、500名以上が死亡。 生き残ったことに苦悩し怒りをぶつけるムスタファに、田村は母国の遺族に返そうと漂着物を綺麗に磨く村人たちの姿を見せる。 ムスタファは日本人のあたたかい真心をその胸に刻むのだった…
ここまでは、125年前のトルコのエルトゥール号の事故、そして懸命の救助作業のお話です。今 作品は、この日本の漁業を営む小村・大島村民の決死の救助活動と、運命的な125年後のイラン・イラク戦争での日本人国外脱出のトルコからの恩義を描いています。
自然の恐ろしさと言ってはそれまでかもしれませんが、多くの同胞を失ったムスタファの気持ちを思うと、いっそのこと自分もここで死にたくなるのもおかしくないですね。
しかしそれを必死にいたわるハル、言葉を失っても心が通じて行き、首の皮1枚彼は生きなが らえるという感じですね。 しかし125年前の救助も、現代でのイランから救助に対しても、日本という国はいつも後手後手なんですね。
トルコ人を助けたのは村の多くの人たちですし、日本人を脱出させてくれたのは、トルコ首相・トゥルグト・オザルの決断でした。 今と法整備は違うのかもしれませんが、同じ日本人を助けることができない変な国日本、今でも根本は変わっていないんですよね。
大きな感動とともに、いろんなことを考えさせられる作品ですが、人命なのか、建前なのか、解り切ったことができない民族に、日本はなっていっているという側面が見えてしまう、ちょっと悲しい作品かもしれません。