「雷が嫌なら早く押し入れに入って耳をふさいでいなさい」 と言い、押入れの下に入るように竹造は言う。
彼女は二人暮らし、美津江は明るく快活で、父とも言いたいことを言い合える仲だった。
しかし、竹造は原爆の直撃を受けて死亡しのだった。 でも、幻となって美津江の前に現れたのである。 たまに言い合いになると、消えてほしいと彼女は言うが、次の日にはまたふらっと現れる。
竹造は、ことあるごとにある男性の名前を出す。 それは、勤め先である図書館で原爆の資料を集める木下(浅野忠信)という青年の事である。 実は、美津江が青年・木下に秘かな想いを寄せていることを知る竹造は、ふたりの恋を成就させるべく、あの手この手を使って娘の心を開かせようとするのだ。
しかし、彼女は頑なにそれを拒み続けるのだった。 しかし、美津江は心の奥では原爆投下を生き残ってしまったことへの罪悪感をもっており、逆に竹造は瓦礫の下から自分を助け出そうとする美津江を、なんとしても逃がそうとしていたのだった。
そして娘を思う気持ちと、心の中ではなかなか立ち直れない美津江の事がどうしても気がかりで、出てきてしまうのだった…
先日公開された山田洋次監督の 「母と暮せば」 http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/13730897.html はこの作品のオマージュだったんですね。 これを先に見ておけば、良かったなと思えましたし、順番が逆になってしまいました(^^)
物語は、当たり前のような父と娘の生活から始まります。 普通の言いたいことを言える父と娘の姿、生活感があり、二人だけの生活の寂しさもあまり感じられない風景です。
しかしここは広島、1948年といえば、原爆の被害を受けてからまだまだ大変なときでしょうね。 広島、長崎は、ただ敗戦になっただけでなく、原子爆弾を落とされた地、何度も言いますが人類史上最悪の大虐殺が行われたところです。
父の竹造は、その時に亡くなっているんですね。 “化けて出てきた” というところなんですが、それは娘の心情を思った親ならではの強い思念なんでしょう。 幻なのか? それとも美津江がおかしくなっているんでしょうか?
今作品は、二人の会話劇なんですね。 木下青年で浅野忠信が出てきますが、台詞はほとんどなく、回想シーンのような感じでの登場ですね。
屈託なく父の幽霊と普通に生活している彼女ですが、竹造はただ一つ、彼女にこの先、大きな心の傷から立ち直って、生きて行って欲しいという願いだけに見えますね。 だからこそいやらしいほどに、木下青年との間をくっつけようとしますが、彼女には父の死を、自らの被爆をもう一度向き合わなくてはならないんですね。
「母と暮せば」 は広島の設定を長崎に変え、もうちょっとまわりの人物 を描いていましたが、今作は舞台を見ているような設定も取り入れているんですね。
映画としてではなく演劇を見ている感覚を味わった作品でした。
普通な2人暮らしのような父と娘
しかし父はあの日に
図書館で働く美津江
ほとんど毎日現れる竹造
そして彼のことを言う