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花戦さ

2017年作品、篠原哲雄監督、野村萬斎主演。

十六世紀。 応仁の乱に荒れ果てた京の都に、花を生けることで世の平穏を祈り、人々に生きる希望を与えんとする、「池坊」 と呼ばれる僧侶たちがいた。
やがて織田信長による天下統一を前に、戦国の世も終わりを告げようとする頃、「池坊」 の中でもその生ける花がひときわ異彩を放つ池坊専好野村萬斎)は、いきなり呼び出しを受ける。
そこには執行の専栄と年長の専伯(山内圭哉)がいて、岐阜に行ってほしいと言われる。 岐阜の信長(中井貴一)の所望で、「大砂物」 なる大がかりな生け花を披露するためだった。 そこで専好の得意の松を披露して来いというのだった。
松と聞いて飛びついた専好だったが、彼は信長という武将を知らなかった。 一緒について行った後輩僧侶 の専武(和田正人)に信長の評判を聞いてちょっとビビる専好だった。 しかし、専武の話の中で、信長を昇り龍という表現をしたことから、彼はある考えが浮かんだ。
そこで専好は、千宗易佐藤浩市)という不思議な男に出会うが、巨大な松を中央に据えた大砂物は思わぬ失態を招き、信長の怒りを買う。 しかしそのとき、軽妙に事態を取り繕い、専好を救ったのは、信長に仕える若き武将、木下藤吉郎市川猿之助)だった。
信長は機嫌を直し、武士たる者、茶と華をたしなみ、民のために尽くせと言い切るのだった。 そして池坊には信長よりたいそうな褒美が届くのだった。
それから十二年。 信長は本能寺の変によってすでにこの世を去り、天下はかつての木下藤吉郎豊臣秀吉の手に委ね られていた。 期せずして池坊の執行となった専好だが、その立場ゆえに、迷いながらも自らの奔放な 「花」 を封印していた。
そんなある日、今は豊臣秀吉の茶頭として、利休を名乗る宋易と再会する。 二人はしだいに心を通わせ、いつしか真の友として、互いが目指す 「美」 の世界を高め合う関係となっていく。
専好は利休によって、自らが求める 「花」 の心をようやくつかみ始めるのだった・・・

監督は篠原哲雄、近作は 「起終点駅 ターミナル」 https://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/13631211.html 「小川の辺」 https://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/10998418.html を見ています。
主演は野村萬斎、「スキャナー 記憶のカケラをよむ男」 https://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/14109287.html に主演していましたが、もう一つ話題作 https://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/14324762.html にも。
物語は戦国時代に生きた池坊のお話ですね。 池坊の僧は、頂法寺(六角堂)の執行(しぎょう)として六角堂の本尊如意輪観音に花を供えることとなっていたそうです。
本作の専好は、実に庶民的な人物として描かれています。 民から慕われて、彼もあまり偉くなる気はなく、民と笑いあって生きているのが楽しい人間、そして欠点は物忘れが激しいこと。 だから一度あったくらいでは人が覚えられないんですね。 千利休前田利家豊臣秀吉と再会するんですが、ことごとく忘れています。
彼はもともと僧侶、だから川原に行っては当時の戦乱で亡くなった遺体が転がっており、供養をしていました。
時代は秀吉に代わっても、たまに川原に行くと遺体があるんですね。 しかしその中にまだ生きていた少女がいました。 彼女との出会いがのちに大きな問題となって行きます。
利休の作品はそこそこ多く、この作品も結構な部分で千利休が登場してきます。 そのため茶道に関しては何となくの理解はありますが、華道はさっぱりでした。 良さがわかるまでにはなりませんが、池坊の歴史は少しわかりましたし、フィクションでありながら、当時砂物の技法を図を用いて詳しく記すほか、「一瓶一色之事」 として蓮花・杜若・水仙・菊・松が確立されたことを学ばせていただきました。
現実も今作のように笑って追われたらよかったんですがね(^^)

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庶民に人気の合った専好

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専武と共に信長のところに

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結果的に褒められる

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時は流れ千利休と再会をする

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しかし世は秀吉の天下となり・・・

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