ある日、中学2年生の藤井俊介=通称:フジジュン(小柴亮太)が壮絶ないじめを苦に自殺した。 遺書にはいじめの当事者の他に、2人の名前が記されていた。
しかし、告別式では、フジジュンの父親・藤井晴男(永瀬正敏)から “親友だったら何で助けなかった” と激しい怒りを向けられるユウだった。 しかしユウにしてみれば、フジジュンはただの幼なじみでしかなく、なぜ親友と名指しされたのか困惑するばかり。
一方、サユもショックを隠せない。 いじめの傍観者だった2人は、思わぬ形で重い十字架を背負わされることになる。 雑誌記者の田原昭之(榎木孝明)はクラスの全員が出席した告別式を、冷めた目で見ていて、親友とされたユウに言葉をかける。それは痛烈な一言だった。
フジジュンは、クラス中から嫌われた存在だった。 主に苛酷ないじめをしているのは大柄な男子中学生だったが、クラス全員が誰も止めようとしない、そして担任の教師も見て見ぬふりで、型どおりにただ注意をするだけだった。
母の藤井澄子(富田靖子)はそんなフジジュンの異変を感じ取っていた。 しかし彼は決していじめにあっている事を言わず、必死に普通な感じを装っていた。 澄子は晴男に相談をするが、何かあれば本人が言ってくるはずだといい、あまり気に留めていなかった。
しかし自殺をしたその日、彼はコンビニに行き、そこである物と一緒に縄跳びを買い、夕方に自宅の庭の柿の木で首をつって死んだのだった。
生徒の父兄は、学校側の怠慢を弾劾し、マスコミは主犯の二人を痛烈に書き、いじめの首班の二人も生活が一変する。
ユウとサユ、そしてフジジュンの家族は、そのことと常に向き合い、自問を繰り返しながらその後の人生を歩んでいくのだったが・・・
決してなくならない苛め、ここで描かれている藤井俊介は、性格も悪くなく、優しいちょっとひ弱そうな中学生ですね。 どうして苛められているのか? 二人の主犯格の少年は、先生に言った言葉は 「あいつは何をしても怒らない。 そんな態度を変えてやるために鍛えているんだ」 と言い訳をするんですね。
そんな事はただのいいわけなんですし、だからといっていじめていい理由は100%ありません。 しかしここに全国いろんな状況でいじめ事件がある大きな闇を端的に示している気がしますね。
また、どうしてユウとサユが手紙に名前を書かれていたのか? ユウはクラス委員で、確かにいじめを傍観するだけでなく多少は止めるそぶりを示していましたし、フォローも していました。 サユはフジジュンの憧れの美人の女子生徒なんで、書きたかったのかもと思われますが、だんだんその意味が解ってきます。
しかしそれも年月がそれぞれ必要なんですね。
題名の “十字架” というのはなかなか重いタイトルですが、それもこの重い作品を見ていると分かる気がします。 ちょっと無理があるのは、小出君と文乃ちゃんに中学1年生から演じさせたところはさすがに違和感がありましたが(^^)
五十嵐監督作品は初鑑賞でした。 なかなかの作品で考えさせられました。
ウジジュンの葬式に父親から詰め寄られるユウ
長男を失った母
卒業式に写真を持って無言の抗議をする父
大学進学で上京する前にフジジュンの実家をを尋ねる二人
月日が経ち弟の訪問を受けるユウ