anttiorbの映画、映像の世界

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5年前の金曜日

5年前の3月11日、ちょうど今年が同じ曜日まわりの金曜日ですね。
何かあの時を思い出します。

何回か、映画の記事で書いていますが、もう一度自分のために記憶をたどりたいと思います。

あの前日仕事で、同じ福島の大越町に行っていました。 今日のように真冬の寒さになってしまい、そこから郡山経由で、福島に入りその晩ビジネスホテルに一泊、そして福島市のお客さんに当日朝から、入って仕事をしていました。

その日はびっしりと仕事をしてちょっと早いけど、これから東京に帰ろうかと言いながら工場の正門を出た矢先でした。
ぐらっときたと思うと、物凄い揺れが来たんですね。 立っていられなくしゃがみこんだり金網につかまりましたが、横の家の変わらが落ちてきたり、迎えの家(納屋のような)の壁が崩れてきました。

向上の大きな球体(オブジェのような)が大きく揺れ折れてしまうかと思うほどでした。
今でた工場から悲鳴が上がり、しばらく揺れが収まるまで呆然としていたんですね。

しばらくすると読んでいたタクシーがやってきました。運転手は顔面蒼白ながら来てくれましたが、そのタクシーで付いていたラジオが、巨大地震と告げていました。

駅に着いてみると、もちろん在来線、新幹線ともストップ、公衆電話が長蛇の列、携帯は一切通じません。しばらく待って復旧するかを確認していましたが、それは無理だと駅から発表があり、構内立ち入り禁止になりました。

かえることができなく連絡もつかない。ただ列に並んで何とか電話をかけても繋がりませんでした。
そこで雪が降ってきました。とてつもなく寒かったです。

途方に暮れて、駅前のビジネスホテルに行くと、そこには避難してきた人でロビーはいっぱいでした。何とか空間を見つけて座り込むと、そのホテルの人が、「お部屋には宿泊のお客様も、お入りに慣れませんが、どなたでもこのロビーはいて構いません。」と言ってくれました。
どうやらこの晩は外で過ごさなくても良いようです。

そのホテルは下に敷くもの、おにぎり、カップラーメンを差し入れしてくれました。本当にありがたかったです。

でもそれからでした。何もすることが無くみんな座り込んでいると、次から次へと余震が来るんですね。そして揺れが来る数秒前に、地の底から地鳴りがするんです。
これが恐ろしんのなんの。
その旅悲鳴が上がり、シャンデリアが音を立て、みな入口に行って脱出準備するんです。

ただ、奇跡的に、福島駅の周りは電気がすぐに復旧したんです。ちょっと歩いた先ではなかなか普及していなかったので、これは助かりました。
充電ができ、暖房が着き、なんと言ってもトイレができたんですね。これは本当に幸運でした。

あとはその晩は地鳴りと余震との戦いでした。まあ寝れたもんじゃありませんよね。
5年前の今日、そんな恐怖の一夜を過ごしたなんて、今は信じられませんが、この記憶は一生残るんでしょうね。

さてあとは、どうやって家に帰るかですがね?