anttiorbの映画、映像の世界

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母の身終い

2012年作品、ステファヌ・ブリゼ監督、ヴァンサン・ランドン、エレーヌ・ヴァンサン出演。

出来心から麻薬の密売に手を出した48歳のトラック運転手アラン(ヴァンサン・ランドン)が、刑務所から出所してきた。 彼は、折り合いが悪い母イヴェット(エレーヌ・ヴァンサン)の家に身を寄せていた。
職業斡旋所に行くのだが、彼の得意な運転手の職に就くことはできず、なかなか人生の再出発ができないでした。 結局思うような職を得ることはできず、なんとかありついたのは、ゴミ処理仕分けの仕事だった。 友人も彼がいったいどうしてそんな仕事に手を出したのか?、ただ金が欲しかったとしか理由のない、アランだった。
イヴェットはそんな息子を黙って受け入れている。 神経質で小煩い性格の彼女は、細かいことについ口を出してしまい、挙句の果てには言いづらいことまでアランに行ってしまうのだった。
しかし、実は彼女は脳腫瘍の悪化で余命いくばくもないことを宣告されていた。 イヴェットは、いい年をしてまともな暮らしもできない息子に苛立ちを募らせる。 でも、彼女はアランにはそのことを決して言わず、病院に行った結果を聞いてきてもそれとなくごまかしてしまうのだった。
一方アランも、母を疎ましく思っていて、なるべく家にいることをしないようにして、友達の家を訪ねたりしていた。 そんな、ある日、アランはボーリング場でクレメンス(エマニュエル・セニエ)という女性と出会い、一夜を共にする。 なんとなく気分が乗ってき たアランだったが、アランは母親の薬が入った引き出しである書類を見つける。 それはスイスにある自殺を幇助する協会との契約書だった。
わけがわからなかったアランは、母の主治医のところに相談に行く。
今まで母の病状を知らなかったアランは、スイスの件を話し、アドバイスを求めると、彼女はまずイヴェットの今の病状を知っているのかと尋ねられるが、彼は全く分かっていなかった。 もう手術は不可能で、放射線治療と薬の投与しかなく、薬が効かなくなると、記憶障害が起き、死に至ることを聞いて愕然とするアランだった…

安楽死のお話は以前 「みなさん、さようなら」 http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/12686350.html という作品で、触れていますが、今回はフランス作品、監督はステファヌ・ブリゼ、私は初鑑賞の監督でした。
ただ主役のヴァンサン・ランドンは 「すべて彼女のために」 http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/10731532.html、で良い役柄を演じていたので結構記憶に残っています。
物語はそのランドン演じる、ちょっと人生を逸脱した中年の独身男アランが釈放されたところから始まります。 何で捕まったのかは、だんだんわかってきますが、どうして罪を犯したのかは、あまり触れられていません。 ただ問い詰められると、単純に金が欲しかっただけのようでもあります。
そしてちょっとうるさく、細かいことをいちいち突っ込んでくる母・イヴェットにエレーヌ・ヴァンサン、厳格というか、きっちりしている正確なのは、描かれる生活態度に現れていますね。
でもそんな彼女は、もう手を付けられない脳腫瘍患者なんですね。 発見が遅れたか、もう手術ができる時が過ぎていて、彼女はどこかで記憶に障害を起こし亡くなる運命なんですね。
そこで彼女は自分の人生の幕引きを自分で決めます。 それはたった一人の身内である息子にも相談せず、たった一人で。 でも、しょうがない生活を送っている息子は、やめてくれと言い返せないんですね。 やりたいようにやらせてしまう無力さ、言いようのない虚無感が感じられます。
フランスは安楽死は、自殺幇助に問われ、認められていません。 彼女はスイスである団体(協会)を見つけそこと契約をするんですね。 その団体員が面接に来るんですが、これが実に丁寧なんですね。 いつでも止められる、包み隠さず透明を約束する。 止めるのは直前でもいいとまでいうんです。
でも彼女の決意は固く、最後アランも付き添うんですね。 ラストはやはり泣けました。 “親子の別れ” “子供の後悔” いろんな要素が混じりあって泣いて抱き合う二人のシーンに涙が出てきます。
苦しんで死ぬよりこういう人生の最後を求める、そういう “生き方” もアリなのかなと思わせる作品でした。

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夫を病気で失ったイヴェット

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出所してきた息子と住むことになる

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前科者なので良い職にはつけない

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しかし彼にも出会いが

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優しい隣人とパズルを

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しかし彼女は人生の大きな決断をしていた

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