anttiorbの映画、映像の世界

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インビクタス/負けざる者たち


1990年2月11日、この日は歴史的な日だった。 ここ南アフリカでは、ラグビーは白人のスポーツ、サッカーは黒人のスポーツだった。 道を隔てて、別の競技をしている二つの人種、その間を、ネルソン・マンデラモーガン・フリーマン)が乗っている車が通ったのだ。 そう彼が釈放された日だった。
ラグビーのコーチは、少年に言う。「テロリストが釈放された。今日はこの国の破滅の日の始まりだ」と。
はやくもAFCと他政党との抗争が始まったこの国、政府が他政党に武器を与えていると報道されているが、マンデラは10万人の前で、和平のための演説を行う「あなたが持っている、ナイフ、銃、パンガ刀を、海に捨てなさい」
彼はこの年に行われた選挙で、大統領に就任した。 2300万人が投票したと言われている。「彼は宣誓の時、もう二度とこの美しい国で、人が人を抑圧することが繰り返されてはいけない」と言うのだった。
彼はまだ暗いうちから起きて、散歩をするのが日課だった。 SPが必ず二人着く。それは黒人のSPだった。 まだ情勢が不安定な南アフリカ、絶えず命の危険を察知しなくてはならない。
まず彼が言ったことは、前大統領についていたSPを残すことだった。 そしてスタッフたちに 「私が嫌なら辞めても構わない。でも、言語や肌の色の違いを恐れるだけなら、そして前政権だからと行ってクビにすることはしない。過去は過去、 私は未来の見つめる。私たちの努力は、この国は世界を導く光となるはずだ」彼はそう言ったのだった。
SPで側近のジェイソン・シャバララ(トニー・ギゴロギ)はSPの人員不足を感じていたが、旧政権の白人SPが入ってきたときには正直驚き、拒絶反応をした。 すぐさまマンデラのところに行くが、書類に自分が署名したと言い、「虹の国は君たちから始まる」と言われ、ジェイソンは腹を決めた。
ジェイソンたちは、マンデラの出身種族である、“マディバ”と親しみを込めて呼ぶが、白人SPは今まで通り“プレジデント”と呼ぶ。
そんな中、スポーツという世界共通言語で国民の意識を変えることができるのではとマンデラは思うようになる。 ワールドカップを控えているのに 、チームは低迷していた。 そこで彼は、弱小だった南アフリカ代表ラグビーチームの再建を決意。 翌年に自国で開催するラグビー・ワールドカップに向け、マンデラチームキャプテンのフランソワ・ピナール(マット・デイモン)はまず意思の確認から始めるのだった…

昨年見た「マンデラ 自由への長い道」http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/11637241.html では、主演がイドリス・エルバで、釈放、大統領までの道を描いていましたが、このクリント・イーストウッド監督作品は、その後の苦悩、忍耐、そして道しるべを描いていますね。 そしてその大きな目標がラグビーのワールドカップ制覇でした。
正直ラグビーはそこまで詳しくはありませんが、どこが強いかくらいは知っています。 そして南アフリカはそこまで強くなかったということくらいは。
この3回大会は、開催地となっていますが、過去2大会は出場さえしてません。 ということは、強い弱い以前に、大変不利な状況ですね。 経験値が無く、いきなりの開催国枠、重圧に押しつぶされますね。 このあたりを陰の監督、プロデューサー的にマンデラが導いて行くんですね。
彼の存在は、革命家、活動家というより、鉄人政治家、決してぶれない、かといって独裁者ではない頭の柔らかさを持っていると感じます。
役者になっても成功したんじゃないかと思えますね。
この主演のモーガン・フリーマンは、マンデラ自身が希望した配役だそうですね。 サッカーでは残念な結果でしたが、ラグビーでは、第5回大会でも優勝するほどの強豪チームとなりました。
ただ、彼の辛いところは家族との接点がほとんど後年失われたことですね。映画でもそこに触れていました。95歳で亡くなりましたが、アフリカの偉大な父を描いた秀作ですね。試合の結末を調べないで見ていたので、結構熱くなりました(^^)

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ラグビーは白人のスポーツ

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マンデラはキャプテンのフランソワに託す

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そして大会が始まる

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はたしてチームは?

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歓喜の瞬間

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