anttiorbの映画、映像の世界

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42~世界を変えた男~

 
第2次世界大戦がドイツ、日本の降伏によって終わった。  兵隊として従軍していたプロ野球選手も戻り、ようやくメジャーリーグが本格的になってきた。  しかし当時のメジャーリーグは、オール白人選手でチームが組まれていた。  では黒人選手は? 1920年ニグロリーグが発足され、黒人選手はそこで巡業のような感じで野球をしていた。
ブルックリン・ドジャースのゼネラル・マネージャーを務めるブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)はある考えを持っていた。 わがチームに黒人選手を入団させようと言うのだった。 呆気にとられる周囲の者たち、しかしリッキーは本気だった。 
膨大な資料に目を通し、まず一人を選ぼうとした。 実績のあるもの、ベテランと色々候補はいたが、彼が選んだのはジャッキー・ロビンソンチャドウィック・ボーズマン)という選手だった。 周りは彼はちょっと…と言ってあまり薦めなかった。 
彼は軍にいたときに、バスで白人の運転手がロビンソンに対し、黒人用の座席へ移動を命じたが、陸軍ではバスの中での人種隔離を禁止しており、ロビンソンは移動を拒否したということがあったという。
しかしリッキーは彼に決めた。 その時ジャッキーは、移動中のバスでGSによっているときだった。 しかしスタンドの主人は、黒人にトイレを使わせようとしなかった。しかしジャッキーは敢然と言う。 「こんなところでガソリンを入れるのはやめよう」 主人は渋々トイレを使わせてくれたのだった。
ジャッキーはリッキーのオフィスに呼ばれた。 そしてリッキーはジャッキーに対して、包み隠さずこれからあらゆる差別をお前は受けると言うのだった。
「屈辱的なことも言われるだろう、しかし、お前はやり返さない勇気を持つ選手になるのだ。」  そしてジャッキーはこう言う  「もし俺にユニフォームをくれるのなら・・・もし背番号をくれるのなら…勇気で応えます。」 そして彼はドジャースの2軍・モントリオール・ロイヤルズに入団するのだった。  しかしこれが彼に降りかかる大嵐の始まりだった…
 
背番号42の日、毎年4月15日はMLBは全員が背番号42を付けて試合をする日なんですね。 人間としても、野球選手としても彼は素晴らしい男だったことが、映画を通して伝わってきましたが、その扉を開いた、ブランチ・リッキー無くては今のMLBは無かったんでしょうね。 
始め彼は言うんですね。 黒人の客がいっぱい来る、それを逃がす手はないだろう。 経営にタッチする者として当然のことですが、おそらく当時は黒人を起用することは命の危険も、凄まじいものだったのではないでしょうか? 
この作品は野球をするうえで、その差別の出来事を一つ一つ描いています。 客から、同僚から、相手チームから、そして理解を示そうとする同僚の身内から、様々な差別、圧力を受けます。 しかし妻のレイチェル・ロビンソンとしっかりスクラムを組み、1年後にできた子供のため彼は必死に現状に立ち向かいます。 
この年ドジャースは優勝するんですが、そのために彼は貢献したことは言うまでもないのですが、さすがに同僚の選手たちはプロですよね。 勝つためには彼が必要だと思ったところからプロとして彼を助けはじめるんですね。 このあたりがMLBの凄いところではないですかね。 相手の力を認めたらちゃんと賞賛する。 もちろん例外はありますが、優勝はそんな簡単にはできませんからね。 
ところで、この年采配を振るうはずだったドジャースの監督にレオ・ドローチャーが描かれていましたが、彼は晩年もうちょっとで日本で監督をする寸前だったんですね。そんなこともちらっと思いながら見た良い作品でした。
 
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”戦わない勇気を持て!”
 
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彼はまず3Aに入団するが、白人記者たちに囲まれる
 
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実績を残しいよいよメジャーに
 
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耐え切れない屈辱を受けるジャッキーに、激しく叱咤激励するリッキー
 
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そして認めだしたチームメイト
 
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