1993年作品、ジェーン・カンピオン監督、ホリー・ハンター主演。
「私は6歳で話すことをやめた。 なぜだか解らない。」 話すことができないエイダ(ホリー)にとって、ピアノはかけがえのないものである。
エイダは話す代わりのピアノを弾く。 彼女には独身だが娘がいる。 父が今回の結婚を決めた。
夫となる男・アリスディア・スチュワート(サム・ニール)は特に話せなくてもいいと言ってくれていた。 スコットランドから、全然環境の違うニュージーランドへと彼女は、娘・フローラ(アンナ・パキン)とともに移り住んできた。
重いピアノは浜辺に置き去りにされた。 スチュワートは重いピアノを運ぶことを拒んだのだった。
現地の男・ベインズ(ハーヴェイ・カイテル) は地元のマオリ族との通訳ができる。待っていたスチュワートに彼女は馴染もうとしない。 ピアノを置き去りににしたからだった。
彼女はある日ベインズに浜辺に連れて行ってほしいといった。 フローラと森を抜けてたどり着くとエイダは、生き返ったように弾き始める。 それを聞くベインズ。 そしてベインズはピアノを自分の家に運ぶのだった。 そしてベインズはエイダにあるお願いをするのだった・・・
決して言葉を発しないエイダに、母の手足となりなにかと世話を焼くフローラ。 この二人がほとんど一心同体で話が進みますが、ベインズがかかわることによってエイダに変化が現れます。
原題は「The Piano」ですが、まさにその通りの話ですね。 エイダにとってピアノこそが命でありピアノがない時間は彼女はどんどん衰えていくのです。 そして彼女は最後の方で鍵盤を一つとるのですが、その報い?が彼女はあるものを失います。
サム・ニールは 「ジュラシック・パーク」 「デッド・カーム/戦慄の航海」 で見ていますが、真面目だけどちょっと困難な役回りがはまりますね。
ひげを蓄えちょっと荒々しい姿ですが、それでもマオリ族に比べるとやはり垢抜けた感じが出ています。
エイダは本当に口がきけないのか、意図的に話さないのか?謎なんです。 ピアノを通してしか心を表現しない女性というちょっと儚げ物語ですが、エイダははその中で強い意志を持った女性です。 これも心に刺さる作品でした。
結婚し、ニュージーランドに来た母と娘
しかし夫は彼女のピアノは運んでくれなかった
しかし現地のべインズはピアノを運んでくれる
ピアノは彼女の命
しかし条件があった