2005年作品、中村高寛監督、永登元次郎 五大路子 杉山義法 清水節子出演。
白塗りの厚化粧をしてドレスに身を包み、街角に出没して横浜の風景の一部となっていたホームレスの老嬢メリーさん。 1995年の初冬、人知れず姿を消した彼女の半生を、若きスタッフたちは多くの関係者の証言をもとに追いかける。
5年の歳月をかけた地道な作業の積み重ねの中からメリーさんの実像が次第に浮かび上がるとともに、証言者たちそれぞれの戦後史もまた浮き彫りにされていくのだった。 それは横浜という街の、そして日本という国の歴史の一断面でもある。
これはちょっと感動しました。
監督は中村高寛、作品を見るのは初めての監督です。
メリーさんという白塗りの化粧をした年老いた女性。 彼女はある日突然横浜、伊勢崎町から姿を消しました。 いつも同じ場所に立って、荷物を全て持って、ずっと彼女がいつもの場所にいることがある意味横浜のある風景になっていました。
横浜の人間なら多くが知っているメリーさん、しかしいなくなった理由を知るものは少なかったんですね。
Wikipediaからの引用だと “神奈川県横浜市の中心部でしばしば目撃された女性。 歌舞伎役者のように白粉を塗り、フリルのついた純白のドレスをまとっていた。 第二次世界大戦終戦後、進駐軍兵士相手に身体を売っていた「パンパン」と呼ばれる娼婦だと噂され、「皇后陛下」「白狐様」「クレオパトラ」「きんきらさん」などの通り名で呼ばれていた。
1980年代に入った辺りから「(港の)マリーさん」と呼ばれ出し、同じく80年代の後半から「メリーさん」と呼び名が変化したようである。 そして後年ドキュメント映画がヒットした影響から「ヨコハマメリー」「ハマのメリーさん」などと呼ばれることが多くなった。"
私はもちろん横浜にはあまり行かないのでわかりませんが、そんな彼女と接していた人物たちに、彼女は一体どういう人間だったのか?聞き取っていくドキュメンタリーでした。
本人の貴重な動画や、写真、その仮名で一番親身に付き合っていたのがシャンソン歌手の永登元次郎さんでした。 彼が初めてメリーさんと話したのは、彼がコンサートをすることになった時、彼女に招待券を渡し声をかけた時だったと言います。 最後に元次郎さんに贈り物をしに舞台の近くにいった時に、客性から大きな拍手が起きます。 みんなメリーさんのことを知っていて、登場に驚きと、盛り上がりを見せた瞬間でした。彼女がいくところ、舞台もヒットするし、そういう感性は鋭かったのかもしれません。
ドキュメンタリーでありますが、本人のコメントが一切ないドラマであり、五大路子さんの彼女を描いた「港の女・横浜ローザ」のシーン、そして五大さんのインタビューも印象的でしたね。 接した人で構成された彼女の生き様がドラマになっており、消えた彼女は本当に死んでしまったのかが最後明かされるミステリーでもあり、感動のフィナーレともいえるエンディングもまた見事でしたね。