anttiorbの映画、映像の世界

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人生フルーツ

2017年作品、伏原健之監督、津端修一 津端英子出演。

愛知県春日井市高蔵寺ニュータウンの一隅。 雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てたもの。 
四季折々、キッチンガーデンで育てられた70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わる。 刺繍や編み物から機織りまで、英子さんは何でもこなす。
たがいの名を 「さん付け」 で呼び会う長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に彩られている。
1945年、厚木の飛行場で敗戦を迎えた修一さんは、新しい時代のためには住宅再建しかない、と考え、アントニン・レーモンド事務所に勤めた後、1955年に創設された日本住宅公団に入社する。 東京大学のヨット部員だった 修一さんが 、国体出場のために英子さんの実家の酒蔵に泊まったことをきっかけに2人は知り合い、1955年に結婚。 造り酒屋の一人娘として厳しく育てられた英子さんだったが、自由を尊重する修一さんのお陰で、臆せずものが言えるようになったという。
やがて、東京の阿佐ヶ谷住宅多摩平団地などの都市計画に携わった修一さんは、1960年、名古屋郊外のニュータウンの設計を任されると、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したプランを立案。
しかし、経済優先の時代がそれを許さなかった。 当時の日本は、東京オリンピックGDP世界第2位といった事象に象徴される高度経済成長期。 結局、完成したニュータウンは理想とは程遠い無機質な大規模団地だった。 修一さんは、それまでの仕事から次第に距離を置くようになる。
そして1970年、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめた。 それは修一さんにとって、ごく自然なライフワークとして継続されることになる。
あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきた。 そして、90歳の修一さんに新たな仕事の依頼がやってくる・・・

都内の上映ではいけなかったドキュメンタリー作品、地元の川越スカラ座でアンコール上映ということで行って来ました。
監督は伏原健之、「神宮希林 わたしの神様」 https://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/13859702.html を見ていますが、ドキュメンタリーを中心にとっている監督ですね。 そんな縁で、今作も樹木希林さんがナレーションを担当しています。
今作は津端夫妻にスポットを当てた作品、
“風が吹けば、枯葉が落ちる。枯葉が落ちれば、土が肥える。 土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり。 人生、フルーツ。”
という樹木希林さんのナレーションがこの作品の全体像を現しています。
戦後の復興期に活躍した建築家・津端修一さん、この撮影時は90歳でした。 奥様の英子さんは3つ下の87歳。 二人は大変元気で、家の周りのことは大概二人でやってしまいます。 お子様もいるんですが、後半までほとんど出てきませんし、同居はしていないようです。
“人生フルーツ” 変わった題名ですが、この題名に修一さんの人生、そしてここに家を構え住むことになった、そして生き方がすべて詰まっていますね。 独特な距離感の夫婦、面白いのは修一さんは金属がダメなんですね。 食べるときは必ず木の製品を使います。 こだわりというよりも、体質なんでしょうか?
中盤、英子さんがふと、私が先に死んだらこの人はどうなってしまうんでしょう? と、もらす場面があります。 そして修一さんに、人生の最後はどうなってしまうんでしょうかね? と考えたことがあるのか? と聞くシーンがあり、彼は考えたことはないと言い切ります。
そしてそれが後半いきなりやってくるんですね。 場面が変わりいきなり喪服を着ている英子さん。 庭仕事をした後、昼寝をしたままもう覚めることはなかった、そのまま旅立って行ったそうです。
しかしその後、最後に彼が残した仕事のことが描かれるんですね。 淡々と、のどかで進んでいたこの映画に衝撃が走る瞬間でした。
人間の生き方の、ひとつの大きな道標を示したようなドキュメンタリー、日本全国で順次公開が続く理由のわかる秀作ドキュメンタリーですね。

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修一さんと英子さん

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二人の平屋の家

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ここで取れたフルーツ

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何気ない一言が書かれている

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心が通っている目印

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こんなところにも

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そして修一さんに相談が来る

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