1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された。 その日、福原浩二(二宮和也)は長崎医科大に向かっていた。 1限は川上教授(橋爪功)の授業だった。 窓から空を見上げると一機のB29が見えた。 次の瞬間、すべてが吹っ飛んだ・・・
それから3年が過ぎた。 浩二の母・伸子(吉永小百合)は助産師として働いている。 夫が早く死に、長男も戦死していた。家族のいない伸子に、孝二と結婚するはずだった恋人・町子(黒木華)が頻繁に通ってきてくれる。生きていれば二人は結婚しているはずで、もしかしたらもう孫がいたかもしれない。
ちょうど3年後の8月9日、お墓参りに行く二人、そこで、伸子は遺体、遺品が見つかっていない浩二の事をやっと死んだと認めることにしたと町子に言う。 そして誰かいい人がいたら幸せになってほしいとさらりと言うが、町子は頑として結婚はしない、ずっと浩二を思い続けて生きていくと泣きながら言う。
町子は小学校の先生になり、生徒からも人気があった。 しかしまだ物資は満足でなく、電気も一定時間止まってしまうほど、復興は遅れていた。
その日の夜、伸子の元に原爆により死んだはずの息子・浩二がひょっこりと現れる。
「やっと諦めてくれた。 だから今まで出てこれなかったんだ」 浩二は屈託無い表情で、おどけるように伸子に言うのだった。 生前彼は口数が多く、伸子からしたらおしゃべりの息子だった。 でもそんな彼が幽霊となって出てきてくれたことは嬉しいことだった。
でも浩二は決して町子の前には現れないし、ほかの人には見えないのだった。 ただ子供たちにはどうやら見えるらしい。
いったい彼はなぜ今になって現れたのだろうか? しかし伸子はちょっと生きる張りが出てきたのだった…
もう冒頭から幽霊の浩二が出てくるんですね。 助産婦として、いざお呼びがかかると重労働ですね。 産気づくと、そこからもう闘いの様で、夜通し出産ということもありますから。
また十分な設備も無くなった時代、それでも生まれてくるのが子供なんで、彼女の存在は大きかったんでしょうね。
「小さいおうち」http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/11003015.html では戦時中を描いた作品でしたが、今回は長崎の原爆投下から3年後の時代の長崎を描いていました。
物が無く、闇で仕入れるルートを持っている人間が多少物を手に入れることができる、そんな時代なんですね。 美人の伸子のところにも、“上海のおじさん”という闇業者が足しげく顔を出します。 胡散臭いんですが、悪い人間ではなく、伸子に惚れている。 加藤健一が演じていていい味を出していました。
吉永小百合演じる伸子は、けっして聖人君子ではなく、クリスチャンですが、何とかこの時代を生きて行こうという気持ちで、その時代を精一杯生きぬいています。 でもそれは、嫁になる予定だった町子の存在や、 近所の人たち、上海のおじさんも結構生きる張りだったのかもしれません。
私は、幽霊になって出てきた息子が彼女のバランスを崩したのかな? そして、本当のところ浩二がなぜ出て来たのかがだんだんわかる気がしましたね。
最後に正直な感情を伸子が吐き出すシーンがあります。 人間らしい感情で、彼女はそれを恥じますが、でもそこが一番人間らしく、ある意味その感情を表させることも浩二の役目だったような気もしますが。
単純に悲しい、嬉しい、ということではないのがファンタジーですが、やっぱり悲しい作品かも。
3年前のこの日に
闇の物を売りに来る“上海のおじさん”
町子は生徒の父の消息を聞きに行く
結婚するはずだった二人
しかし町子は新しい幸せを