南樺太で親子4人で暮らしていた、江蓮一家。 父・徳次郎(阿部寛)、母・てつ(吉永小百合)長男・清太郎(阪本颯希)、二男・修二郎(土屋慶太)の暮らしは順調で、なんとここで桜の花が咲いた。 家族でこれを守って行こうと誓い合っていた。
途中耐え切れず命を落とす者もいる中、何とか清太郎が乗船切符を手に入れ、北海道に行く船に乗る3人だった。 しかし、決死の思いで北海道の網走に辿り着き満身創痍の親子を意識を失うほどの厳しい寒さと飢餓が襲い、想像を絶する過酷な生活が待ち構えていた。
1971年、アメリカで成功を収め日本初のホットドックストアの日本社長として帰国した次男の修二郎(堺雅人)は、札幌で日本第1号店を立ち上げる。 店長の木村孝(野間口徹)以下徹底的な労働をするようハッパを掛け、長い行列ができ、まずは滑り出し成功となる。
しかしそこに網走の市役所から一報が入る。 そして彼は15年ぶりに網走へ行くことになるのだった。 そこには昔ながらおにぎり屋をしている年老いた、母がたった一人夫を待ち続けてわびしい暮らしをしていた。 修二郎はを見ると、帰ってきたことを喜び、さっそくおにぎりを出す母・てつ。 しかし何か様子がおかしいことに気付く修二郎だった。
そこに昔馴染みで、内地で警察官をしていた山岡( 岸部一徳)が顔を出してくれ、母の状態を何気なく知らせてくれ、ここの営業も、もぐりのような感じで、今はもう売り上げも無く立ち退きを迫られていることを教えてもらうのだった。
母の面倒を見る決心をし札幌へ連れ帰るが、そんな話を聞いていなかった妻の真理(篠原涼子)は機嫌を損ねてしまう。 彼女はアメリカ育ち、父・岡部大吉(中村雅俊)が本社のオーナーで、いわば彼は逆玉だった。 だからこそ実績をあげ、真理を妻に迎え、日本の責任者になったのだった。
しかしいきなり都会に出てきたてつは、薪を使い米を炊き近所から苦情を受けたり、金を払わないまま八百屋から葱を持ち去ろうとしたりと、次第に不可解な行動を見せ始める。 てつは戦禍によるPTSDの後遺症に陥ってい たのだった。
立派になった修二郎に迷惑をかけたくないとの思いからてつは網走に戻ろうとするも、住処はすでに取り壊された後だった。 帰る場所を失ったてつと、てつに寄り添いたいと思う修二郎。 北海道の大地を巡り過去を辿りはじめる二人。
その旅はやがて親子の抱える禁断の記憶の扉を開けていく・・・
吉永小百合さんの 「北の」 三部作の最終作品です。 これが彼女の映画120作目となるという事ですね。
主演はもちろん吉永小百合、過去の2作は、「北の零年」 「北のカナリアたち」 https://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/7586543.html でした。 「北の零年」 は見ているんですが、ブログを始める前でした。 いつか再見して記事にしたいですね。
妻役は篠原涼子、記事にしている作品では 「ステキな金縛り」 https://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/10962509.html までさかのぼってしまいます。 ドラマが多いですよね。
物語は、南樺太で暮らしていた4人の親子が戦争という激動の時代に振り回され、その中の母と二男の苦闘の物語、そしてそれから25年がたった後の修二郎青年期のお話になって行きます。
母子は、極貧でした。 どうして極貧なのか? そして長男はどうなったのか、さらに言えば、父の徳次郎はどうなってしまったのか? これが実になんとなく予想はつきますが、大きな悲劇であり、耐え難いお話でもあるんですね。
母のてつは、修二郎だけはという思いで、必死に生きて行きます。 闇米の販売の手伝い、そしてもぐりのおにぎりや、とにかく生きていくために必死に働いて行くんですが、内地に帰って来て15年経ったとき、いきなり修二郎を追い出すんですね。
実はそれが彼のトラウマなんです。 母に捨てられた、心のどこかにその思いを引きずる修二郎でしたが、久しぶりに会った母は、大変喜ぶと同時に、何かがおかしかったんですね。
すぐに連れて帰りますが、母の行動は都会の生活に慣れないというレベルを超えたような奇行に移って行きます。
映画としては、あの “吉永小百合” さんが痴呆役をするというちょっとショッキングな役どころであり、ちょっと痛々しい作りをまず感じます。 そして舞台劇が所々差し込まれるんですね。 物語を補完している感じですが、ちょっとこの構成は謎な感じさえします。
ただ、舞台シーンを入れることによって、戦争の悲惨さが軽減されているという感じはしますが。 でも決定的なシーンは、実写でしたが。
私はこの作品、別な感情が湧いてきていました。 年老いた母の痛々しい姿、これはちょっと辛いものがありましたね。