1966年、真夜中に帰ってきた酔っ払いのオトン(小林薫)、いきなりゲロを母(内田也哉子)に吐きかける。 そして3歳のボクは、いきなり焼き鳥の串を食べさせられる。 飲んだくれの自由人である “オトン” の小倉の家を出て、“オカン”と幼い“ボク”は筑豊の実家で暮し始める。
炭鉱の町のここではオカンとその姉妹たちと暮す日々が続く。 母は、姉妹たちと夜は花札をし、祖母に怒られても踊ってごまかし、つられて祖母が笑ってしまうほどの独特の踊りだった。 母の得意の踊りだった。
母は小料理屋で働いていて、まだ若い母はお客の男とデートもするが、ボクはついて行ってしまった。 邪魔者で居心地は悪かったが、それでも母の近くに居たかったボクであった。 結局母は再婚などしなかった。 というか父と離婚はしなかったのだった。
高校進学を間近にひかえたボクはオカンのもとを離れて大分の美術高校に行くことを決めた。 そんなおり、オトンは時々訪ねてきた。 だんだん時代は変わっていき、炭鉱の時代は終わっていた。 そして大分での高校生活はそれなりに楽しく、いろんなことが起きた。 そしてボクは東京の武蔵野の大学に入学し、東京での生活が始まった。
母は小料理屋で働いたお金を仕送りしてくれた。 しかし東京の貧乏学生の生活は、貧乏と堕落の生活だったが、周りには同じような境遇の仲間にあふれていて、酒、煙草、パチンコを覚えていく学生生活だった。
そんな時同じ高校の平栗(勝地涼)とパチンコ屋でばったり会った。 そして僕の部屋に転がり込んできた。 そんな東京生活が始まったのであった・・・
もしかしたらどこかで遭っていたかもという感じで結構近くの生活圏を感じました。 もうこの時代は、バブル末期で、やりたいことが何でもできる時代が過ぎ去ろうとしているときでした。 でもまだやる気と運があれば世の中渡っていける時代でもありましたね。
そんなにガツガツしている男でもない “ボク” そんな彼にもひとつ大事なもの、それがオカンなんですね。 映画ではところどころ今が描かれていますし、若いころのオカンは樹木希林の娘の内田也哉子が演じているので結構リアルですね。
私はこの作品をテレビドラマ http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/12881218.html で見て大変印象深かったです。 そちらでは大泉洋が主役で。 大泉洋を初めて知った作品となったのを覚えています。
病気になってからの献身的なボク、ここが泣けるシーンですが、、葬儀の最中にも原稿の最速が来て、始めは怒るのですが、母親の遺体の横で必死に原稿を書くシーンが強く印象に残るところでした。
ちょっと映画化で長くしていますが、母への強い愛情を感じる作品でした。
僕とオトン
実家に帰るオカンと僕
やっとオカンを東京に呼ぶ僕
なかなか東京に来たがらないオカンだった
しかしボクの友達とも馴染んでいく