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日本の熱い日々 謀殺・下山事件

1981年作品、熊井啓監督、仲代達矢主演。

昭和二十四年はまだ敗戦後の日本は占領下にあった。 そして冷戦が始まりつつある時代だった。 アメリカは、急速に日本をアジアにおける砦に仕立て上げようとしていた。 資本主義を復活強化させる方針を日本に迫っている時代であった。
その為、大企業はどんどん首切りを始めドッジライン成功の余波がまず来たのが国鉄だった。
七月、国鉄の下山総裁は、3万人以上の首切りを断行、リストを発表した。 そして国労はこれに反対しストライキに入った。
敗戦後の騒然とした雰囲気の中で労働運動は大きく高揚していた。 昭和日報の社会部記者・矢代(仲代達矢)は、上野に集結するシベリヤからの復員兵たちの集会を取材していたが、急に締切が伸びることを聞いた。 それはその裏で大きな事件が起きたからだった。
下山国鉄総裁の行方不明の報が入った。 翌朝、下山の死体が発見されると、政府はいち早く他殺説に近い立場をとり、各新聞の主張も自殺説と他殺説に分かれた。
この中で昭和日報は、他殺の線ですすめるべく、矢代に東大法医学研究室を取材させた。 矢代は遺体解剖を行なった波多野教授(松本克平)の 「死体轢断の鑑定は絶対に間違いない」 という言葉で他殺説に自信を持つが、一方、事件現場近くで下山の姿を見たという証言者が現われたり、東大鑑定に対する慶応の異論も出て、自殺説がクローズアップされてきた。
しかし矢代は他殺の臭いを執拗に追い続け、東大研究室に通い続けるうちに、轢断現場近くに、下山の死体を運んだ時についたと思われる血痕を自らの手で発見する。 この発見と前後して無人電車の暴走という 「三鷹事件」 が発生、事件は混迷して行くのだった…

今でこそJRに解体され、旧国鉄の色は薄れてきましたが、この事件はその分割民営化のさらに遠い昔の、謎の事件として未だに、真相がわからないと言うことですね。
事件発生当時は、時代背景から殺されたという見方でしたが、ここでぐっと自殺説に傾いてくるんですね。 それは下山らしき人を見たと言う目撃者がいろいろ現れるからです。
しかし矢田は、執念深く事件を追いかけます。 そしてこの目撃された人物の変え玉説を取ります。 しかしその後、東大の死後轢断に異議が上がります。
そして真っ二つに別れていくんですね。
まだなかなか医学も進んでいない時代、取りようによってはどちらとも取れるのかもしれません。 ただ、自殺だとしたら、誰が得をするのか、他殺だとしたら誰が得をするのか?
ここにアメリカの影も近づいてくるんですね。 ここから何か得体のしれない壁のようなものが立ちふさがってきます。
推理ドラマとしても面白いんですが、これは紛れもない事実なんですね。 アメリカが日本を取り込もうとする中、必死に左翼陣営がそれを妨害する、日本が水面下で綱引きをされているという、それが事件となって表面化した時代だったんですね。
真相は一体どうだったんでしょう? 今となっては当時の関係者もほとんどいませんから、もう真実は掴めないんでしょうね。

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戦後間もなく、まだ世の中は混とんとしていた

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その時大事件、国鉄・下山総裁死亡の一報が

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他殺説を取る昭和日報

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目撃者が現れ

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そして実行犯らしき男も

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