anttiorbの映画、映像の世界

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南極物語(1983年)

1983年作品、蔵原惟繕監督、高倉健主演。

昭和32年1月、海上保安庁観測船、「宗谷」は暴風圏を超え南極へ向かっていた。
オングル島、昭和基地、日本が初めて建設した南極の基地、11名の観測員と、雌犬1頭を含む19頭の樺太犬がいるのだった。 そして彼らはここで越冬するのだ。 過酷な環境での冬だった。
ここでの予備観測はある程度の成果を上げていたが、犬ぞりでの短期旅行をすることになる。 体力のある15頭が選抜され、ボツンヌーテンへの旅と共に、南極での正確な位置、標高、地質の調査をすることが目的だった。
壮行会が開かれ、旅立つメンバーは、潮田暁(高倉健)、越智健二郎(渡瀬恒彦)、尾崎勇造(金井進二)の3人だった。 尾崎は医師としての同行だった。
しかしこの旅は隊員にも、犬たちにも苦労の連続だった。 しかしだんだん15頭と3人の間にだんだんと信頼関係が築かれていくのだった。 そして何とか目的を達し岐路に着くのだが、あとわずかなところで、視界が閉ざされてしまう。 そこで、犬の帰巣本能に賭けることに決める隊員たちだった。
選ばれたのは、タロとジロ、2頭は子犬のころに連れてこられ、南極育ちだったからだった。
そして見事基地に帰ることができ、救援を呼ぶことに成功した。
そして昭和33年2月、南極の昭和基地から第一次越冬隊員が第二次隊員と交替すべく観測船“宗谷”へと“昭和号”で空輸された。 だが、例年にない悪天候のため第二次隊員は昭和基地へは飛ばず、第二次越冬は中止と決定した。
犬係の潮田と越智は、基地に残された十五匹の犬を救うべく“昭和号”を飛ばしてくれるよう小沢隊長に食いさがったが、満身創庚の“宗谷”には、これ以上南極の海にとどまる力はなかった。 そして犬たちは引継が来ることを前提で、鎖に繋がれたままだった。
潮田と越智の心は引きちぎられるようだった…

ただの飼育係としての思い、それだけでないことが、この前半の40分の15頭と行った旅を見ると切々に感じることができます。
しかしこの後の犬たちの1年間のドラマが、心をさらに締め付けられるんですね。 
もちろん再現ドラマですが、撮影も長期にわたったとのことで、今から30年以上前なので、CG処理等ない時代、スタッフの苦労、巨費、当時の日本最大ヒット作品というのも、頷けますしそれに値する作品でした。
これは事実なので、当時としても残された樺太犬に対する同情、そしておいてきた観測隊に対する非難も大きかったことでしょう。
タロとジロがどうして生き残ったのか? もちろんそれは創作の範疇でしょうが、限りなくリアルな話に感じますね。
もちろん犬たちも、過酷な環境での撮影を強いられますし、実際に怪我をしたシーンもあり、見るのも辛いんですが、当時としてできるだけ考えうる限りのシチュエーションを想定した物語は、やはり心に響いてきますし、もうできないし、今はもっと簡単にしてしまうでしょうね。
動物虐待と言われそうな作品でもありますが、人間と犬の絆の強さも感じた作品でした。

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タロとジロ、南極育ち

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2匹をはじめとして置き去りにされる犬たち

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その中で2匹は生き残る

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生き残っていた2匹

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