anttiorbの映画、映像の世界

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アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち


1961年、元ナチス親衛隊(SS)将校アドルフ・アイヒマンが潜伏先の南米で逮捕された。 当時、ユダヤ人に対し、史上稀有な虐殺をしていたという事がまことしやかに言われていたが、それはなかなか世の中全般にはまだ知られていなかった。 いや、なかなか信じがたい惨い事だったので、信じたくない人間も多かった。
エルサレム、革新派の敏腕TVプロデューサー、ミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)は、アドルフ・アイヒマンの裁判を世界中にテレビ中継するという前代未聞の計画の実現に向けて、全力を注いでいた。 しかし判事たちは中継することの意義は認めているものの、いろんな制限をかけて来ていた。
ナチスユダヤ人になにをしたのか、世界に見せよう。 そのためにテレビを使おう。これはテレビ史上、最も重要な事件となるだろう。過去、現在、そして未来においても」
この “世紀の裁判” の撮影にあたって、フルックマンは、最高のスタッフを集めたいと考えた。 そしてここエルサレムに一人の男が降り立った。 監督として白羽の矢が立てられたのは、米国のドキュメンタリー監督レオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパーリア)である。
ロシア移民としてブルックリンで育ったフルヴィッツは、マルチカメラを用いたスタジオ放送の草分け的存在だ。 その仕事は高く評価されていたが、反共産主義に基づくマッカーシズムの煽りを受け、ブラックリストにあげられたため、10年以上も満足に仕事ができていなかった。 彼にとっても、このアイヒマン裁判は、大きな賭けだった。
この裁判は全世界から中重くされていた。 戦勝国は挙ってこの裁判の映像を欲しがっている。 しかしある点からクレームが入っていたのだった。 それは大きなカメラを、法廷に持ち込むことによって裁判の進行が邪魔されるという見解を持っていることだった。
そこで、ミルトンと、レオは法廷が開かれる裁判所の会場に足を踏み入れた。 そこで、レオはある方法を思いついたのだった。 それは撮影カメラを持ち込むことなく、法廷の映像を撮る方法だった。 しかし準備期間が少なく、スタッフは突貫工事になる。
レオの提案は成功し、判事たちから撮影許可が下り、いよいよ世紀の裁判が始まるのだったが…

これは予告編を見た時から見たかった作品、いや見るべき作品と思っていました。 GWなら行けるだろうという事で、満を持して(^^)の鑑賞でした。
監督はポール・アンドリュー・ウィリアムズ、彼の作品は 「アンコール!!」 http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/9823556.html という感動作を見ていますが、今作は打って変わった社会派作品になっています。 それも当然で、当時は世紀の裁判の歴史的中継の裏側を描いているからですね。
主演はマーティン・フリーマン。 今公開中の 「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」 http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/14111716.html にも出演していますが、代表作は 「ホビット」 3部作 http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/8184720.html http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/11189270.html http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/12494421.html と、なんと言ってもテレビ作品 「SHERLOCK(シャーロック)」 http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/14015570.html シリーズですね。
そして相棒である監督のレオ役には、アンソニー・ラパーリア。 「ジャンゴ 繋がれざる者」 http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/8753038.html にはクレジットされてはいますが(^^)
物語はこの後裁判風景のシーンがあるんですが、プロとしてこの貴重な映像を撮ろうとするミルトンと、左のレッテルを張られ、不遇の時代を過ごしてきていたレオがぶつかり合いながら世界的な仕事をこなしていく物語ですね。
私が驚いたのは、今でこそナチが行ったホロコーストは紛れもない事実だと検証されていますが、当時は何とか生き延びたユダヤ人の主張がなかなか信じられていなかったことでした。 誇張しているとか、そんな事があるはずがない、そう思われていたという事でしたね。
しかし世界にこの裁判が中継され、生き残った被害者たちに陳述に、世界の民が、当時のナチの史上例のない陰惨な行為をしっかり認識した重要な裁判でした。
さらにはアドルフ・アイヒマンの、あの飄々とした顔、まったく自分には罪が無い、同情もしない、苦渋に満ちた顔を一切しない、ある種機会のような、心をどこかに捨て去ったような態度、“非人間”という姿が浮き彫りになった瞬間でもありました。 彼の人間性なのか、そこまで完全洗脳されていたのか、これも恐ろしいことです。
レオはそんなわずかでもアイヒマンが心を動かすシーンを撮ろうと、必死に5台のカメラの多くを彼に向けるんですが。 監督のレオの主張は、以前見た 「ハンナ・アーレント」 http://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/11682863.html  の主張そのものでした。 しかしそれに真っ向否定するベテランカメラマンがいるんですね。 そして彼の心情も後半痛いほど伝わってきます。
96分という短い作品なんですが、重いテーマであり、非常に長く感じられる衝撃作だと思いました。

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世紀の裁判を撮ろうとする男・ミルトン

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そしてフルヴィッツを呼ぶ

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厳重な警戒のもと裁判会場に

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ミルトンのもとに脅迫電話が

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現地採用のカメラマンたち

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そして歴史的裁判が始まる

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