anttiorbの映画、映像の世界

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遺体 明日への十日間


2011年3月11日、お昼頃、その日の釜石市は普通の日常だった。 
葬儀社に努めていて、リタイアした後、地区の民生委員として働く相葉常夫(西田敏行)は高齢者たちと卓球をしていた。 医師の下泉道夫(佐藤浩市)は風邪をひいた子供の診察をしていた。 歯科医師正木明(柳葉敏郎)、歯科助手の大下孝江(酒井若菜)も常連の患者の診察をしながら、近々帰省する子供の話に付き合っていた。 釜石市職員・及川裕太(勝地涼)、照井優子(志田未来)も日々の業務で電話対応に追われていた。 平賀大輔(筒井道隆)は地域の人に検診を受けるよう、パンフレットを配布していた。 釜石市職員の松田信次(沢村一樹)は地域イベントに実現に関係者と打ち合わせをしていた。
日々の日常を過ごしている市民。 しかし突如としてそれは起こった・・・

14時46分18秒、東南東沖130kmの海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。 海側は津波の襲われ、山側の人は生き延びた。 散乱した卓球の球を片付けをしている相葉のもとに、知らせが入った。
「海側が津波に飲み込まれた。 海側は全滅状態だ。」 一夜明けても混乱状態が続く中、廃校となった旧釜石第二中学校の体育館が遺体安置所として使われることになる。
停電の作業の中、平賀、、及川、照井の3人は遺体安置所での担当をすることになった。 また、松田は海側の捜索、救助、遺体の搬送の役割を与えられた。
医師の下泉はいち早く安置所で、検死を開始していた。 正木と大下も安置所に駆けつけた。 そして相葉は今までの経験を活かし安置所でボランティアをすることを申し出る。 辛く、悲しい10日間の始まりだった・・・


泣きました・・・ただ涙が流れる作品でした。 日常が一瞬のうちに寸断される、なんとも痛ましい震災の記録でした。
半ばこれは義務として見に行ったんですが。 
私の当日をちょっと書いておきます。
私は関東に住んでいますが、仕事の関係で福島に行くことが多く、その日も福島市で仕事をして、ちょっと早いけど帰りのため駅に向かおうとした瞬間でした。
タクシーを待っている最中にそれは起きました。 ものすごい音と共に今まで体験したことのない揺れを感じたのです。
お客様の工場の正門のところにいたのですが立っていられず、金網にしがみつき蹲りました。 目の前の蔵の壁が崩れ落ち、横の家の屋根瓦が落ちました。
警報が成り事務所や現場から人が飛び出してきました。 タクシーはなんとかやってきました。 しかし運転手は真っ青です。 ラジオから悲鳴のようなアナウンサーの声が聞こえてきます。
津波が来ます! 沿岸の人は早く高い所へ避難してください!」 しかし私がテレビを通じて、津波の恐ろしさを知ったのは、家に帰れた次の日の夜でした。
この作品は、私も出張被災者だったことから、少しでもこの記憶を忘れないようにとの思いからなるべく早く見に行こうと思っていました。
釜石市の遺体安置所の10日間の取材記録で、実話とのことです。 20000人近い、死者、行方不明者を出した東日本大震災、もうあれから2年が経とうとしています。確かに 「頑張ろう日本!」 はしなければなりませんが、こういう現地の、必死に歯をくしばって耐え抜いた記録もまた残さなければという思いが湧き上がってきます。感想というのはおこがましいので、この作品で描かれている、実際ご苦労された方たちにご苦労様でした、お疲れ様でしたと言いたいのと、亡くなった方たちのご冥福を心からお祈りしたいと思います。

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「君たちは安置所に行ってくれ」廃校に派遣されるふたり

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相場と平賀はすぐにお手伝いに

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相場の献身的な弔いの扱い

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しかしどんどん運ばれてくる遺体

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悲しみの対面

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