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ギミー・デンジャー


1967年、ミシガン州アナーバーで、フロントマンのイギー・ポップ、ロン&スコットのアシュトン兄弟、デイヴ・アレクサンダーによって結成されたバンド、ザ・ストゥージズ。ところが、型にハマらない彼らの音楽はキワモノ扱いされ、思うような活動ができなかった。 そんな中、彼らにいち早く注目したのが、イギリスで人気絶頂だったデヴィッド・ボウイだった。 ボウイに招かれたザ・ストゥージズは渡英。
プリミティブかつ攻撃的なサウンド、サイケやフリー・ジャズなど様々な要素を取り入れた実験性とミニマルな音作りの融合。
そして、ヴォーカル、イギーの過激なステージング……。 それまでのロックの概念を破壊する唯一無二のスタイルを生み出したものの、結局、 わずか3 枚のアルバムを残して、74年にバンドは解散する。
セックス・ピストルズニルヴァーナレッド・ホット・チリ・ペッパーズなど後の音楽シーンに多大な影響を与え伝説となったザ・ストゥージズ。 彼らがロック・ファンを惹きつける理由とは何なのか? イギー・ポップを軸に、メンバーと、本当に近しい関係者のインタビュー、そして新たに発見された貴重な映像や写真から、ザ・ストゥージズの真実が明らかになる…

今年は “ザ・ストゥージズ” 結成50周年という事もあるんでしょうか? イギー・ポップ自身の強い要望で、このドキュメンタリー映画ができたと言われています。
監督は、新作 「パターソン」 https://blogs.yahoo.co.jp/atts1964/15111439.html が公開されているジム・ジャームッシュ
イギー自身の語りと、当時の貴重映像、そしてそれ以外のところはいろんなところから持ってきたり、アニメを使ったりに仕上げられていますね。
イギー・ポップをよく知っているかというとそうでもないんですが、名前くらいは知っているのと、ソロとしてしか認識がありませんでした。
しかしそんな彼の出発点はまずドラマーだったんですね。 しかし自分がボーカリストになる時、無理やり素人だった人間にドラムをたたかせたという冒頭から始まります。
ザ・ストゥージズの、初期のメンバーは、ボーカルのイギー・ポップIggy Pop)、ギタリストのロン・アシュトン(Ron Asheton)およびドラマーのスコット・アシュトン(Scott Asheton、ロン・アシュトンの弟)のアシュトン兄弟、そしてベーシストのデイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander)によって結成、4人体制でした。
しかしファーストアルバムはそんなに売れず、代表作と言われている 「ファン・ハウス」 も商業的には不振だったそうですね。 でも、MC5というバンドに認められ、プッシュされていたんで、そこそこ有名になってはいたそうです。
しかし修業的には停滞して、さらにドラッグに陥り活動は休眠状態になっていくんですね。
そんな時転機になったのは、イギーにある大物から声がかかったんですね。 それがなんとデヴィッド・ボウイに認められ、イギリスに呼ばれ、向こうでアルバムを出すチャンスをもらうんですね。
その頃のギターはジェームズ・ウィリアムソンとなり、アシュトン兄弟を呼び寄せます。 しかしベースのデイヴ・アレクサンダーはアル中になってしまい解雇、彼は膵臓がんで早世していますね。
ここで再活動をし始めたザ・ストゥージズでしたが、なかなか長い活動をする感じにはなって行きません。 それはやはり商業的な大ヒットしづらいバンドだったからかもしれません。 熱狂的で過激なライブパフォーマンスはあっても、レコードをじっくり聞くという立ち位置ではなかったという事なんでしょうかね?
初期のメンバーはイギー以外すべて他界しています。 そんな意味合いもあっての映画化、自分たちの生き様を残したかったからこそのドキュメンタリーだったんでしょうか?

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イギー自身の語りで

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結成時か

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過激なライブ

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レコーディング

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しかし彼らは3枚のアルバムしか出していない

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