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生きる

1952年作品、黒澤明監督、志村嵩主演。

某市役所の市民課長渡邊勘治(志村喬)は三十年無欠勤という恐ろしく勤勉な経歴を持った男だった。 しかし仕事といえば、毎日膨大な書類の判を押すことだけ、ただ真面目を絵にかいたような男だった。
しかし数日前から胃の痛みを感じ、彼は医師に診断を受けた。 待っている間男(渡辺篤)に話しかけられた。 同じような患者の彼は、胃の痛みで来たとき、もし医者にこういわれたら、それは間違いなく胃癌だ。 そしてそれを直接医者は患者には言わない。 潰瘍だと言って患者には気にさせないように言うのだが、もうそう言われると余命はないのだ、と芯に迫った言い方をするのだった。
やっと来た彼の順番で、なんとおその男が言った通りの診断を受ける勘治だった。 自分は胃癌なのだ。 もう余命はあまりないのかもしれない。 言葉も無く病院を後にする勘治だった。
勘治はその日初めて欠勤をした。 彼がいない役所に、市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。 ある陳情できた婦人たちはあまりのたらいまわしに、最後は激怒して帰ってしまった。 その時、いつもいるはずの渡辺寛治がいないことにみんな気がつくのだった。
夜、家へ帰って二階の息子たち夫婦の居間に電気もつけずに座っていた時、外出から帰ってきた二人の声が聞こえた。 父親の退職金や恩給を抵当に金を借りて家を建て、父とは別居をしようという相談である。
勘治は息子の光男(金子信雄)が五歳の時に妻を失ったが、後妻も迎えずに光男を育ててきたことを思うと、絶望した心がさらに暗くなり、そのまま街へさまよい出てしまった。
屋台の飲み屋でふと知り合った小説家(伊藤雄之助)とそのまま飲み歩き、長年の貯金の大半を使い果たした。 そしてその翌朝、買いたての真新しい帽子をかぶって街をふらついていた勘治は、彼の課の女事務員小田切とよ(小田切みき)とばったり出会った。 彼女は辞職願いに判をもらうため彼を探し歩いていたという。
なぜ辞めるのかという彼の問いに、彼に「ミイラ」というあだ名をつけたこの娘は、「あんな退屈なところでは死んでしまいそうで務まらない」という意味のことをはっきりと答えた。 そう言われて、彼は初めて三十年間の自分の勤務ぶりを反省した。
死ぬほどの退屈さをかみ殺して、事なかれ主義の盲目判を機械的に押していたに過ぎなかった。 これでいいのかと思った時、彼は後いくばくもない生命の限りに生きたいという気持ちに燃えるのだった…

黒澤作品の代表作であり、志村喬、一世一代の名演の今作。 やっと観ることができました。
物語は、ある目立たない真面目一色の市民課の課長渡辺寛治が主人公です。膨大な書類に判を押し、自分の領分を淡々とこなす。 妻を早く亡くし、男で一本で息子を育て、何とか結婚をして、これから老後に向かう矢先でした。
ここまででは、彼は本当に胃癌なのか半信半疑でしたが、医者と看護婦のやり取りでは、やはり見立て通りなんでしょうね。 おそらく初めは息子たちに告白して、相談するつもりだったんでしょうが、たまたま彼の退職金を当てにしている話を聞いてしまった勘治は、自暴自棄になってしまうんですね。
そこに寄って来た飲み屋で知り合った男と、今までしたことが無かった豪遊をするんですが、それもむなしく、いよいよせっぱつまった時に現れたのが小田切とよでした。
慎ましくも元気に生きる彼女から何かを感じた勘治は、「老い先短い自分にも何かができるのかもしれない」そう決意をするところで前半が終わるんですね。
場面はいきなり5か月後、彼の葬式の場面に変わります。 ここからが葬儀の席に来た同僚たちの回想シーンとなっていきますが、勘治のこの5か月の人が変わったような行動から、いろんな推測、称賛、彼に対する感情を勝手にい合う場面になっていきます。
ラスト死ぬ日の晩に、警官が目撃した勘治がブランコに乗りながら嬉しそうに歌を歌うシーンは、なぜか涙が落ちてくるシーンでした。 ただ感動という事でない不思議な涙が。
しかし結局次の日からはいつも通りの役所の風景になっていく場面は、人間というものはそういうもんだ、そう簡単に変われるものでもない、何か巨大な日本の縮図、官僚の不気味さを表していましたね。
ただ彼が残したものは、地域の人たちは忘れない、いや忘れ欲しくないと感じました。

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毎日膨大な書類に判を押す生活の渡辺勘治

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病院で診察する前に男にあることを言われる

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飲み屋で会った小説家とこの後豪遊

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そしてその後会った小田切

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その後勘治は、人が変わったように働き始める

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