anttiorbの映画、映像の世界

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ルック・オブ・サイレンス

2014年作品、ジョシュア・オッペンハイマー監督。

アディは、1960年代にインドネシアで繰り広げられた大虐殺、いわゆる『9月30日事件』で兄が殺された後に生まれた。 母はずっと失った我が子への思いを胸にしまいこみ、アディにすら多くを語ろうとはしなかった。
2003年、ジョシュア・オッペンハイマー監督が撮影した、加害者たちが兄を殺した様子を得意げに語る映像を見たアディは、彼らに罪を認めさせたいと思うようになる。そして2012年に監督と再会したアディは、監督とともに加害者のもとに赴く。 アディが警戒をかわしながら質問を投げかけていくうちに、母も知らない事実が明らかになっていく・・・

前作は、なんと加害者側にカメラを持たせ、振り返ってもらう。 そして敢えてやりたいように撮らせることで、場違いな幻想的なシーンの差し込み等もあり、そこに方向性が疑問の展開だったのですが、途中からなぜか加害者の表情が変わってきていて、自らの犯した行動に耐え切れなくなったシーンにつながっていきました。
さてこの続編は、前作を見た被害者に監督のカメラが密着し、殺した当事者に話を聞いていくという展開でした。
兄を殺されたアディ、彼は眼鏡屋さんなんですね。 日本なら眼鏡屋さんに行ってメガネを作るパターンが多いですが、彼はレンズを持ってお客さんの家に行って、度を決めていきます。 それをやりながらまず話を聞くのは実の母なんですね。
実は今まで母は、息子にもあまり詳しい話をしていなかったんですね。 でもアディが監督の作品、そしてその時取材した加害者側のビデオを見て、実は自分の兄もその犠牲者で、それも一番残酷に殺されたことを知っていくんですね。
では「9月30日事件」とはどういうものだったんでしょうか?
1965年9月30日に起きた軍事クーデターということで、==クーデターを起こした国軍部隊は権力奪取に失敗しているので、正しくはクーデター未遂事件とするべきであるが、一般に未遂事件後のスハルトによる首謀者・共産党勢力の掃討作戦に関連する一連の事象全体を指して「9月30日事件」と総称している==
ということですが、私が思うには、政権基盤を強固にするために共産党員というレッテルを貼り、現代の魔女狩りというのが真相のような気がします。

前作は、加害者が誇らしげに証言をするというその残虐性、全く人を殺すことに罪の意識を感じていない、信じられない心理状態、そんなところに衝撃を受けたんですが、今回はまた違った印象を受けました。
この事件の全貌がまず隠されているんですね。 それは虐殺した側の人間、またその子孫たちが、未だに権力、経済、地域を支配しているからなんですね。 政権は変わっても、地域、地方は旧態依然とした世界が続いている。
しかし監督の第1作は結構衝撃だったらしく、触れて欲しくない、その敏感な部分に触ってしまったんでしょう。
主役のアディ、おそらく仮名でしょう。 彼も命の危険があるということみたいですね。
巧みに加害者にアディを近づけ、どんどん語らせていく。 しかし激高する人間もいますし、同情する加害者の娘もいます。
一番心が痛かったのは、殺された兄の叔父が、加担していた事実を知るところでしたね。 それを実の姉である母は知らなかったという事実も辛いですね。
加害者に共通した考えは、正しいことをやった、自分には責任がない、共産党員はひどい人間だった、皆異口同音でそう言います。
でも、その中の何人かは、頭がおかしくならないために、殺した人間の血を飲んで、気を静めたというのです。 信じられない行為ですね。 そして加害者が、もう終わ ったことなんで、水に流そうというんです。 それは被害者側のセリフですよね!
今回も、川越スカラ座で見たんですが、正直淡々と始まる最初の部分は強烈な睡魔がきますが、真実に近づいてくると逆にあまりの残酷さ、不条理さに、目が冴えてきます。
見てて辛い世界ですが、つい50年前の事なんですね。 心が重く楽なる作品ですが、事実を見つめるべきでは?

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監督の撮った加害者の殺人を語る映像を見るアディ

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母からも初めてあの時の話を聞く

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誇らしげに兄を殺したと言う加害者のビデオ

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兄殺害を実行した男

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そして責任者だった男、今は地元の政治家

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