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日本のいちばん長い日

2015年作品、原田眞人監督、役所広司主演。

1945年(昭和20年)4月、枢密院議長に就任していた鈴木(山崎努)は、戦況悪化の責任をとり辞職した、小磯首相の後継を決める重臣会議に出席した。
構成メンバーは6名の総理経験者と内大臣の、木戸幸一矢島健一)そして枢密院議長の鈴木であった。 そこで彼らは首相に鈴木を推したが、鈴木は驚いて「とんでもない話だ。お断りする」と答えた。 しかし既に重臣の間では昭和天皇の信任が厚い鈴木の首相推薦について根回しが行われていた。
重臣会議の結論を聞いて昭和天皇本木雅弘)は鈴木を呼び、組閣の大命を下した。 鈴木はあくまでも固辞をするが、天皇陛下は「もう君しか残っていない、なんとか受けてほ しい」とそこまで言われてしまい、もう引き受けざるを得なくなってしまった。
この4月に、昭和天皇は、非公式にではあるが、戦争終結の考えをにおわせていた。 そしてこの内閣にその使命を託したのである。
長男の鈴木一(小松和重)は職を辞し首相秘書官になり、父を助けるといち早く自分の考えを示す。
まず初めに手掛けることは、組閣だった。 一番の難関は、本土決戦が現実的になりつつある戦局で、その中核にいる陸軍から出る、大臣の選定だった。 名前が挙がったのは阿南惟幾役所広司)で、彼は軍内で信任が厚く、1929年(昭和4年)8月1日から1933年(昭和8年)8月1日までは侍従武官を務めており、当時の侍従長鈴木貫太郎であった。
阿南は鈴木の懐の深い人格に尊敬の念を抱き、なんとか彼を陸軍からの候補にしたいと考えていたが、陸軍の方も、いろいろ条件を付けてきていた。 しかしできる限り鈴木はそれを飲み、彼を入閣させることに成功した。
ドイツが降伏、戦艦大和を失い、海軍が壊滅的になったこの時期、敵機からの空襲は頻繁にされていた。
翌5月、東京に大空襲が起き、焼夷弾による大火災が発生、1万人近い民衆が亡くなった。 時局はいよいよ切羽詰まった状態になっていく。
陸軍の将校たち、陸軍少佐の畑中健二(松坂桃李)達は以前から陸軍の力で戦局を盛り返し、連合国に一矢浴びせるため、日々戦略を練っていた。 そして彼らの一縷の望みが、陸軍大臣の阿南大臣だった。
この戦争の幕引きに長い日々が始まるのだった…

1967年の大宅壮一原作の「日本のいちばん長い日」は未見なんですが、このあたりの歴史は結構いろんな書物を読んでいるので、今回半藤一利原作の「日本のいちばん長い日 決定版」が映画化になり、早速鑑賞しました。
ノンフィクション作品として昔発表されたんですが、本当に書いた人間は半藤氏らしいですね。
海外における海軍の戦いはほぼ決着がつき、世界の中で戦っているのはもう枢軸国側は日本だけという状態、そうなるといかに幕を引くかが焦点になってきている時代ですね。
戦争は、始めるのはあるきっかけで怒涛の流れで、突っ込んで行ってしまいますが、この時日本はぎりぎりまで、ソ連終戦の仲介をお願いしているんですね。 でもソ連はもうそんな気はなくただはぐらかし、参戦する機会をうかがっていたんですね。
鈴木首相は、天皇陛下への最後のご奉公、その思いでこの戦争幕引き内閣を引き受けたんでしょう。
また陸軍大臣を引き受けた阿南陸相も、陛下と首相の思いをしっかり受け止めていたんでしょう。 でも決して陸軍の大将が、終戦なんて言えないんですね。 1億総玉砕、考えてみれば日本の民衆をも巻き込んだ自分よがりの言い方ですが、そういう時代だったこともあるんでしょう。
逆に言うと、よく日本は大きな混乱もなく終戦にまで持っていったし、国体護持を死守したと思います。
玉音放送シーンでこの作品は終わるんですが、その敗戦後の昭和天皇の全国行脚も描いて欲しかったですね。
身を投げ打って、敗戦に打ちひしがれる国民を励まし続けた、天皇陛下の姿もいつか映像作品にしてほしいとも思いました。

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戦争終結の思いを語る昭和天皇

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そして戦時中最後の首相に任命される鈴木

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そして陸相になる阿南

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しかし陸軍は徹底抗戦を叫んでいた

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阿南の苦悩の始まりでもあった

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