2012年作品、池谷薫監督。
元の場所に家を建て直そうというのだ。 自分はきこりだ。 山に入って木を伐ればいい。 友人から田んぼを借り、田植えもしよう。 仮設住宅には何があっても行かない。
被災3日後には、その年の米作りを決意。 5月には知人の田んぼで田植えをする佐藤さんの姿があった。
まだ荒れた土地にそばの種を撒き、いち早く自活すべく立ち上がる。 自ら山に入って大木を伐り、自宅を元の場所に建て直すという一大事業に奮闘。
遅々として進まない 市の復興計画を牽引するかのように、佐藤さんの信念は周囲を少しずつ動かしてゆく。
土地に根差し、土地に生きる人々とその行く末を想う彼の強さと優しさは、生きることの本質を問いかけてくる。 忍び寄る病魔、耐えがたい腰の痛み……。 数々の障壁を乗り越えて、77歳の彼は夢を叶えることができるのか……。 本作では、彼のその姿を震災1か月後から1年半に渡って追い続け、困難に屈しない“日本の老人力”を情感豊かに描き出す・・・
2011年の東日本大震災、一番多くの被害を受けた東北地方。 中にはこれを引き金に若い方たちは、故郷を離れる決断をした人が多いと聞いています。
それはそうですよね。 校庭で体育ができない、休み時間、外で遊べないんですから。
実は私は仕事で、郡山の保育園や幼稚園の放射線量を計る作業をしたことがありました。 場所によっては通常から高いレベルの放射線量が出る幼稚園もあり、後日正確なデータが欲しいと真剣にお願いされる先生方も多かったです。
この作品の中心は佐藤直志さんです。 息子さんを津波で失くされ、その次の日に直志さんの姪御さんが生まれた。 そんな寄寓に悲しみと喜びが同時に来る不思議さを感じたり、奥さんとの別居にもめげず、仮設には絶対はいらないという こだわり、それは先祖に対する申し訳なさと、息子に対する思いでした。
そんな佐藤さんをだんだん周りが助け出すんですね。
そして家が完成した時に、佐藤さんは死ぬまでみんなのためのお手伝いをしていくと宣言します。
また中にはその地で踏ん張って生きて行こうとする若者の姿も映っていました。 東北の方の純朴さ、粘り強さ、故郷に対する強い郷土愛、でもその中でも明るさを失わないところが清々しく爽やかでした。
忘れてはいけない物を再び刻まれた作品でした。
震災で息子を亡くした佐藤さん・77才
彼の決心は、もう一度家を建てる
山でそのための木を切り、田んぼを始める
もともと木こりだという佐藤さん
そして彼は宣言をする、ここで生きていくことを