2013年作品、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督、バルバラ・スコヴァ主演。
ドイツに生まれ、ナチスの台頭により始まったユダヤ人迫害の手を逃れアメリカに亡命したユダヤ人ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)は、第二次世界大戦後に全体主義や全体主義を産んだ政治思想に関する考察を発表、哲学者として敬愛されていた。
しかしハンナは自分の過去を見つめ直すこと、そしてなにより、どうしてユダヤ人大虐殺をしたのか、その当事者の裁判を見つめることに使命感さえ持っていた。
アメリカでの友人・メアリー・マッカーシー(ジャネット・マクティア)は夫の愚痴をハンナにぶつけに来るのだが、ハンナが気を許せる友人の一人だった。 彼女をはじめとして、その他の友人たちが集まり、ハンナの走行会が開かれた。
友人の中で、同じユダヤ系のハンス・ヨナス(ウルリッヒ・ノエテン)とは、これまた思想も語り合えるほどだった。 そして彼女が裁判を傍聴することに大いに関心を持っていたが、行くこと自体に反対する夫のハインリッヒとは考えが違い、意見がぶつかり合うのだった。
イスラエルに行くと、彼女が尊敬するクルト・ブルーメンフェルト(ミヒャエル・デーゲン)が出迎えてくれた。 彼もまた、裁判を傍聴する彼女を心配していた。
いよいよ裁判が始まった。 しかし彼女は傍聴しながら、あることを感じ始めていた。 そしてそれが彼女を大きな嵐の中心に置かれることになるのだった・・・
大学で教鞭を取り、生徒にも人気があった彼女。 信念の人という作品でした。
それまでは、哲学者として高い評価を得ていたハンナでしたが、この裁判を傍聴し、その考えが記事にすることによって、同じ民族のユダヤ人からほとんど総スカンを食います。
戦争直後にはなかったイスラエル、しかし奇跡の建国だったユ ダヤ人の国が誕生し、その国の機関が戦犯を逮捕してしまったことから、ナチの大犯罪の一端が明かされます。
アイヒマンの映像は、実際の映像なんですね。 死刑ありきの裁判、しかしその中で、彼女が気づいたこと、それは、特別な裁判権もなくイェルサレムの地方裁判所で行われたこの裁判に正当性はあるのか、イスラエルはアイヒマンを裁く権利があるのか、アイヒマンは極悪人ではないのでは? ということでした。
戦後まだ15年程度、ユダヤ人の憎悪はいまだ収まらない時に、こんなことを発表したら、大バッシングを受けること必定です。 でも彼女は敢然と論文記事を発表してしまいます。
私がこの作品の最後に、彼女が生徒たち、彼女を更迭したい大学側の者たちの前で、初めて敢然と 意見を述べますが、その中で、 「こんな凶悪な大犯罪を起こすものは、普通の人間が起こすのだ。 思考停止した人間は、人間であることを放棄し、ただ言われたこと・大虐殺の命令を淡々と伝えるだけ。 そこに罪の意識はなくただの役人としての感情」
ここが印象的でした。
日本にもそんな事件がありましたね。 私はそれがオウム事件だと思っています。
難しい内容の物語でしたが、ちょっとゾッとする作品でしたね。(G)
結構ヘビースモーカーの彼女、そしてある依頼が来た