anttiorbの映画、映像の世界

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小さいおうち

2014年作品、山田洋二監督、松たか子倍賞千恵子黒木華吉岡秀隆片岡孝太郎妻夫木聡出演。
 
大叔母が亡くなった。 荒井健史(妻夫木聡)が、連絡がつかない大叔母の布宮タキ(倍賞千恵子)の様子を見に行ったとき亡くなっているのを見つけたのだった。 
葬儀が終わり、タキの一人暮らしの部屋の片づけをする、健史と姉の荒井康子(夏川結衣)と父の荒井軍治 (小林稔侍)。 そこで、“健史に”と書かれた箱が見つかった。 その中には、タキが生前書いていた自叙伝が入っていた。 健史はよく電気器具などの修理をしにタキの部屋に行っていたのだった。 そしてそれを書いていたのを知っていた。 そこにはタキが、雪深い山形の実家から、東京に方向に来たことからのタキの若いころの話が書いてあるノートがあった。
始めに来た家は、小説家の小中先生(橋爪功)のお宅だった。 この家にはもうすでに女中が二人いた。 タキ(黒木華)は3人目だった。 それならばということで、彼女は小中の姪の平井時子(松たか子)の家に行くことになった。 
時子の家は東京郊外にあった少しモダンな三角屋根の家だった。 当時としてはこじんまりした家だったが、ここにはまだ女中はいなかった。 主人の雅樹(片岡孝太郎)は玩具会社の常務をしていた。 そして一人息子の恭一(市川福太郎[3代目])の3人家族。 無理をして立てた小さなおうち、時子はこの家が好きだった。 そして初めて来た女中のタキに優しく接してくれたのだった。 そしてタキも家族に必死に尽くそうとするのだった。
恭一が高熱を出した。 しばらくして熱は下がったのだが、足が動かなくなってしまった。 急いで医者に連れて行くと、小児麻痺と診断されてしまった。 そして毎日マッサージを受けるよう医者に言われてしまった。 毎日、日本橋の医者に通わなくてはならない。 
そこでタキは、田舎育ちで体が丈夫な私は毎日通うという。 そして半年の間、タキは一生懸命恭一を日本橋までおぶって通い続ける。 そして恭一の足はだんだん動くようになっていった。
ある正月の日だった。 新年のあいさつに玩具会社の社長たちが平井家に集まった。 その中で見知らぬ若い男が遅れてやって来た。 彼は板倉正治吉岡秀隆)と名乗り、ちょうど会社に入社した青年だった。 そして彼の存在が、この家にちょっとした嵐を起こすのだった…
 
ほぼ1年ぶりの山田監督の新作です。 生涯独身で亡くなった布宮タキの自叙伝として書かれたノートを読みながらの物語でした。 
どうして彼女は独身だったのか? 彼女の若いころに何があったのか? 彼女の青春時代は、日本が満州事変、支那事変、そして第二次大戦に突き進んでいく時代でした。
面白いシーンがありました。 若い甥の息子の健史が、そのノートのタキの前で読むときに、タキにたびたび嘘を書いたり誇張しないでと言うところでしたね。 でもタキは素直に記憶通り書いているんです。 歴史で書かれていることと、女中として庶民の生活をしていたタキ、そこに結構な隔たりがあるんですね。
大正期から戦争が始まる昭和初期間での日本は、結構落ち着いた状態で、物もあり、どちらかと言うと裕福な暮らしを都市部ではしていたと言われています。 そのあたりがタキは書いているんですね。 そこが甥の息子はわからないんですね。
いよいよ物資が無くなってきたり、生きにくくなってくるのは、真珠湾攻撃前あたりからで、アメリカ、ヨーロッパからの締め付けで、だんだん干上がって来たときからではないでしょうか?
18年にはもう女中は田舎に戻されます。 もうその段階では日本には資源がそこを突き、なりふり構わず金属を各家庭が差し出すと言う描写もありました。
物語はそんな時勢の中の平井家の中で起きた小さな嵐を描いています。 予告編のシーンがどこなのかそれは見ていただければわかりますが、結構重要なシーンを予告編で出しましたね。 
タキの若いころの役の黒木華さんは、好演でした。 無理矢理見合いをさせられるシーンなんかは、ちょっと見ている側も憤っちゃいましたね。 なぜタキさんが生涯独身だったのか? そして後半で号泣するシーンはさすがに悲しい場面でした。 地味な作品かもしれませんが、山田組総出演のじんわりとした作品でした。
 
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タキは小さな家での思い出を書き始めた
 
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ある日健史が、タキの家に行くと彼女が号泣していた。そして言った言葉は…
 
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この家の平井夫婦
 
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そしてお正月にこの男が初めて訪ねてきた
 
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二人の仲は進んでいく
 
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